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『コンクールでお会いしましょう』


中村紘子 著 (中公文庫)



コンクールから見る音楽の本質
 
 日本で最も有名なピアニストの一人である著者による、コンクールとは何かを考える恰好の本です。
 
 著者は多くのコンクールの審査員を務めてきました。実体験に基づいたノンフィクションのおもしろさがこの本にはあります。
 
 まず「はじめに」を読んで、私は非常に驚きました。ものすごくうまい文章なのです。こんなにきれいにまとまった文章は、めったに遭遇しません。全体を通して、構成が美しいのです。
 
 天才ピアニストは、何をやらせても一流なんだなと思わせます。大変失礼ですが、こういう文章を書く人のピアノはうまいだろうなと思ってしまいます(事実、もちろんピアノがうまいのは言うまでもありません!)。
 
 この本の中では、数々の天才ピアニストの逸話が紹介されていますが、著者ご本人も十分、天才であったわけです。例えば、こんな記述があります。
 
《突然私事にわたって恐縮ですが、私も子供のころはちょっとした天才少女で、読譜力、暗譜力、記憶力といったもので先生をはじめ周り中を驚かせました。十五歳ぐらいまででしょうか、そのころただ一度聴いただけの曲を、たとえば歌曲ならメロディだけでなくその時意味も分からずに聴いた歌詞までも、私は一言一句残らず今でも思い出すことができます》
 
 私が子供の頃は、漢字を覚えるのに苦労し、ゲームをやっては友人に負け、天才的なヒーローの出てくるマンガを読んでその気になっていたことを思い出すと、そもそも違ったんだなあと、少し安心感すら感じます。
 
 この天才エピソードの中で、私が一番驚いたのはバレンボイムです。
 
 バレンボイムは17才のときすでに、いつでも即座に予行練習なしに弾ける曲が300曲以上、ピアノ協奏曲14曲となっており、さらに彼は40代になっても、こうしたレパートリーを上着のポケッとから無造作にカードを引き出すように気負いもなく演奏したのだそうです。
 
 私の自転車みたいな感覚なのでしょうか。私も自転車なら、しばらく乗っていなくても、小さい頃と同じようにいつでも乗ることができます。いや、ほんとに天才はすごいですね。羨ましい限りです。
 
 コンクールについての本なので、例えばその採点方法などの話も書かれています。こうしたことに興味がある方も楽しめるのではないかと思います。
 
 私が考えさせられたのは、「名演」に飽きてしまったのか、という問題提起です。
 
《アメリカをはじめとする豊かな社会、成熟した社会では、伝統的クラシック音楽における「ただの名演」に飽きてしまったのではないか。(中略)とんな名演も繰り返されれば「刺激の閾値」を超えてしまって、より新しく強い「プラスアルファ」がなければ感動を誘いにくくなってしまう……》
 
 ここでいう「プラスアルファ」とは、何らかの感動を呼ぶ人間ドラマがその背後にあって感動に至るという意味で、例えば、映画の主人公が弾いたピアノなどに感動する、ストーリーの流れの上にある音楽に感動する、といったようなことです。
 
 そして著者は、いろいろな考えを提示しながらも、最後は肯定的です。
 
《もちろん、そんな「プラスアルファ」による感動なんて本当の音楽的感動ではない、と否定することもできましょう。(中略)ここで、その音楽的素養や知識によって音楽的感動のホンモノニセモノなどといった差別をするのは、時にクラシック音楽ファン独特の「オゴリ」とでもいいましょうか、例の教養主義的な独善となる危険をはらんでいるのではないでしょうか》
 
 まだまだ私自身もわからないことが多いのですが、この本は著者の考えがストレートに伝わってきて、とても刺激的です。
 






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