今まで新国立劇場で上演されてきた『セヴィリャの理髪師』は、マエストリーニの原演出に粟國淳が手を入れたもので、極めてオーソドックスな演出でした。今回の新しいプロダクションは、演出家ヨーゼフ・E.ケップリンガーによって、時代背景が「フランコ政権下の1960年代のセヴィリャ」とされました。
私はこのことを知ったとき、惜しいことをしたなと思いました。なぜなら、以前のプロダクションは、オーソドックスでバランスが取れており、視覚的にもいかにも「オペラ」っぽく、『セヴィリャの理髪師』という親しみやすい演目で、初めてオペラを観る人に「オペラの楽しさ」を知ってもらえる最適なプロダクションだと思っていたからです。
『セヴィリャの理髪師』以外のロッシーニのオペラは、まだ新国立劇場に登場していません。読み替えに堪えうる作品は他に多く存在します。『セヴィリャの理髪師』がシーズンのテーマ「英雄たちの運命」に合致しているかも疑問です。
新国立劇場開場から丸8年、もう十分オペラファンは育ったとして、新しい『セヴィリャの理髪師』が望まれたのでしょうか。
それでも、私は新しい『セヴィリャの理髪師』を期待して鑑賞しました。オーソドックスだろうが読み替えだろうが、本当にいいものなら誰でも楽しめます。
序曲から幕が開いて舞台は動き始めました。回り舞台の上に2階建ての家を建てて、外と中がよく見えるようにしてあります。この家の様子や舞台と歌手の動かし方を一目見たとき、これはおもしろいものが観られるのではないかと思いました。
しかし、残念ながらオペラが進めば進むほど疑問点が多くなりました。意味のない動き、ウケを狙った動き、そういったものが多くて、肝心の作品に潜むおもしろい箇所が生きていないのです。いいアイデアもたくさん盛り込まれていましたが、これだけの舞台ならもう少しいいものが作れたのではないかというのが私の印象です。
時代背景を変更しただけで、オペラそのものの読み替えを行っていないのであれば、筋は通すべきです。第2幕後半でフィガロと伯爵はバルトロ邸にハシゴを使って忍び込みますが、そのハシゴをバルトロが外してしまうことから伯爵とロジーナの結婚が成功します。まさにこのオペラの主題である「無用の用心」が描かれるわけです。しかし、今回の演出ではこのハシゴのエピソードが描かれていません。
オペラが冴えなかったのには音楽面にも原因があります。伯爵役のフェルディナンド・フォン・ボートマー(T)はアジリタが不安定でしたし、フィガロ役のダニエル・ベルチャー(Br)の歌詞は聞きづらい。バジリオ役のフェオドール・クズネツォフ(Bs)は声量はありましたが、それ以上に訴えてきませんでした。
また、ニール・カバレッティの指揮も、ロッシーニの生き生きとした音楽を活かしきれていません。アンサンブルが乱れていたところもありました。
(2005/10/23)
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