そもそも『コジ・ファン・トゥッテ』は、普遍的なテーマを扱っていて、その人工的な話の展開からか、読み替えることも容易であるとみえて、様々な演出が施されることが多いオペラです。そのためか、やたら現代的に塗り替えられて、これは経費を削減しただけではないかと思わざるを得ないような読み替えも見受けられます。そういうときは必ずと言っていいほど、フェルランドとグリエルモのアルバニア人への変装が、ただただ奇抜な格好となります。本当にスタンダードで気持ちのよい『コジ・ファン・トゥッテ』に出会えないかな・・・とよく思います。
そんなふうに思いながら、新国立劇場の『コジ・ファン・トゥッテ』を観てきました。昨シーズンのプレミエを逃していたので、舞台写真は見たことがあるという状態で、楽しみにしていました。コルネリア・レプシュレーガーの演出は、読み替えを行っていましたが、やりすぎでもなく、やらなすぎでもなく、バランスの取れたいい演出だったと思います。ただ、これといって特筆すべき点も見いだせず、何となく終幕となった・・・という味の薄さが気になりました。
一点だけ引っかかったのは、最後にフィオルディリージとフェルランドが結ばれるという結末。別にそれはそれで構わないのですが、そのような結末にするのであれば、そこまでに物語を作っておいてほしいのです。違和感なく結末を迎えられるように幾重にも仕掛けを施しておいてほしかったと思います。ラストを小手先でいじって、はいユニークでしょと言われても、何となくスッキリしません。
演出面の味気なさに比べて、音楽面は、とても良かったと思います。オラフ・ヘンツォルト指揮の東京交響楽団は、モーツァルトの美しい音楽を体現していました。
歌手陣では、ドン・アルフォンソ役のヴォルフガング・シェーネ(Br)が、豊かなデュナーミクに、変幻自在の声色を使い分け、実に巧い老哲学者を演じていました。こういう歌手に出会えるとうれしくなります。彼がタイトルロールを歌ったメンデルスゾーンの『エリア』のディスク(リリング指揮、バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト)もなかなか聴かせくれます。
グリエルモ役のルドルフ・ローゼン(Br)も堅実であり、柔軟であり、十分な歌唱。ドラベッラのエレナ・ツィトコーワ(Ms)は、2003年10月の『フィガロの結婚』のケルビーノ役で聴いたことがありましたが、今回のドラベッラを演じた姿の方が似合っていたと思います。声にも伸びがありました。また、今回の演出では最後にカップルとなるフィオルディリージ役のリカルダ・メルベス(S)とフェルランド役の高橋淳(T)も、それぞれいい声が出ていたと思います。
忘れてはならないのが合唱。あのいかにも演技っぽい動きや女性の衣装のチープさには目をつぶって、とてもいい歌声を聴かせてくれました。
モーツァルト・イヤーの『コジ・ファン・トゥッテ』。いいモーツァルトを聴いたなと素直に思える公演でした。
(2006/02/13)
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