コンヴィチュニーが日本のオペラ歌手を使ってモーツァルトを演出する・・・モーツァルト・イヤーとして企画された公演の中でも最も興味深いこの二期会の『皇帝ティトの慈悲』。今年のオペラ公演ラインアップのうち、私が特に楽しみに待っていたものの一つでした。しかも、キャストには現在最高の若手歌手が揃っています。コンヴィチュニー自身も、
《小さな場所で、固定したメンバーでじっくりアンサンブルを作るのが最高です。有名な歌手たちは直前に来て、すぐにまた去ってしまう。しかも、今までやっていないことを受け入れようという柔軟性に乏しい。その点で、若い人たちが多い今回のプロダクションは嬉しいです》
と語っていたように、彼の演出を吸収して、そしてモノにできる実力を持った日本人の歌手が、どのような舞台を見せてくれるか、かなり期待していました。
実際、その期待は裏切られず、私はとても満足しました。特にセスト役の林美智子(Ms)の出来は、おそらく客席は高い評価で一致していたのではないでしょうか。私は今までに彼女のオクタヴィアン、ツェルリーナの歌唱を聴いて注目していましたが、今回のセストはそれらを超えてすばらしい歌唱だったと思います。
セルヴィーリア役の幸田浩子(S)も、最近の活躍どおりの実力を見せてくれました。ヴィテッリア役の林正子(S)は、演技がうまい。その役の性格などを自然な形で示してくれます。タイトル・ロールの望月哲也(T)も十分な出来だったと言えるでしょう。これだけ歌えれば、今の日本人テノールの中では申し分ありません。へたに外国人を連れてくるよりもよほどいいです。
こういった日本人の優れた若手歌手を、コンヴィチュニーは、どこかヨーロッパのオペラハウスで仕事をするときに呼んだりしてくれないでしょうか。野球のメジャーリーガーではないのですが、オペラでもヨーロッパで注目される大きな舞台に、真に実力を持った日本人若手歌手が、もっと起用されることを望んでいます。
さて、肝心のコンヴィチュニーの演出はどうだったのか・・・。以前、NHK衛星第二で放映されたメッツマッハー指揮ハンブルク州立歌劇場の『魔弾の射手』の公演(録画1999年)でのコンヴィチュニーの演出は、それはもう大変なおもしろさで、この演出家に私は圧倒されたことがあります。
今回の『皇帝ティトの慈悲』も、型破りな演出で、驚きの連続でした。これをどう評価すればいいのか・・・、実は私は悩んでしまい、このことがなかなか書けないでいました。よくわからない、と言えばいいのでしょうか。いや、正直に言えば、もし、この公演がコンヴィチュニーの演出だということを知らずに観ていたら、私は「また二期会の悪ノリが始まった」「まともにオペラを上演してくれ」「もう親父ギャグはやめてくれ」と矢継ぎ早に非難の言葉を浴びせていたに違いありません。「あの」コンヴィチュニーの演出だと思っているからこそ、これには何か深い意味があるに違いない・・・といって考えたのではないでしょうか。私のオペラ鑑賞も、所詮その程度でもあるのです。
こうした考えのもとに、あの最初の照明も、トイレに入った皇帝も、幸田さんと呼ばれたセルヴィーリアも、コンヴィチュニーというブランドを付ければこれはまた実におもしろい演出だったと思います。本当に。
音楽を止めたりしてまで何かをするのは、よほど演出家に説得力がなければ、なかなかできないことでもあると思います。客席にティトを座らせるのもそうでしょう。しかし、舞台すらまともに見えない新国の4階で観ていた私には当然何も見えず、フラストレーションがたまりました。
二期会は、こういう演出を実現させるのに、コンヴィチュニーと相性が良かったとも言えるかもしれません。
また、今回のような公演なら、もしモーツァルトが観たら、きっと大喜びしたのではないかと、ふと感じました。
最後に、火事の被害を受けながら公演を支えたスダーン指揮の東京交響楽団にも大きな拍手を送りたいですし、調子の悪かった(笑)照明も、実に多彩な画面を創り出していたということを付け加えておきたいと思います。
(2006/05/01)
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