新国立劇場2006/2007シーズンの開幕公演『ドン・カルロ』、鑑賞した結果、評価に悩みましたが、私は、良しとする立場を取ることができるかな・・・と思いました。
新国立劇場では、2001年12月にヴィスコンティの原演出による『ドン・カルロ』を公演しています。ほとんど藤原歌劇団の公演だったとも言えますが、このとき私が観に行った日の配役には、スカンディウッツィ(Bs)、ファリーナ(T)、ブルゾン(Br)、チェドリンス(S)、藤村実穂子(Ms)という世界の第一級の歌手が揃っていました。
ところが、今回の公演の配役は、上記の歌手たちに比べると失礼ながらネームバリューとしては見劣りすると言わざるをえません。これはノヴォラツスキー体制になってからはいつものことで、その良し悪しは議論の余地のあるところですが、それはそれで私は納得して観ることしました。おもしろいものが観られれば、それでいいわけです。
私の心配をよそに、歌手陣は健闘していたと言えます。歌手の実力に凸凹がなかったとも言えるかもしれません。なぜか男声陣は、みな非常に「硬派な」人物にみえました。それはいい意味でして、その歌唱の真剣さが、『ドン・カルロ』の世界観をガッチリ構築していたのではないかと思います。
そして、そういった硬派な男たちの中で輝いたのが、エリザベッタ役の大村博美(S)。きちんとした舞台姿は好感が持てますし、堂々とした歌唱はエリザベッタの「強さ」を表現できていたのではないかと思います。その存在はオペラ全体を引き締めていました。今後も楽しみな日本人歌手の一人ではないでしょうか。
演出はマルコ・アルトゥーロ・マレッリ。新国立劇場では過去に『フィデリオ』を演出しています。
今回は、スタンダードの舞台とはせず、壁をキューブのように配置して、その壁を動かしながら抽象的な舞台を作っていきました。最初は、そのアイデアの新鮮さに引きつけられ興味深く観ていましたが、次第に何か重々しい気分になってきました。何かこう舞台の大きな壁が息苦しいというような・・・。
なぜだろうと思っていましたが、後でプログラムにマレッリ本人が、舞台美術のアイデアについて述べているところを読んでよくわかりました。私が感じた重々しさは、「牢獄」のイメージだったのですね。オペラ全体が束縛されたような、逃げ場のない息苦しさに包まれていたのです。そして、それは最後まで解き放たれることなく終幕を迎えます。舞台の見せ方として、おもしろいアイデアだったものの、『ドン・カルロ』というオペラが、ただでさえ重い内容・ストーリーであるのに、さらに不必要な重々しさを追加してしまったのではないかと思いました。
何かもうあと一押し、いいものを感じることができたら、私は文句なしに今回の『ドン・カルロ』を評価していたと思います。その一押しがないから、一流歌手を引っ張ってきて一丁上がりの昔の新国立劇場はダメだと思いながらも、どうしてもそれを懐かしく感じるのです。
そのもう一押しの「何か」とは何か?今ふと思うのは、それは日本の新国立劇場の「味」のようなものかもしれません。今はオーストリアから来たノヴォラツスキー芸術監督の味しかしない気がします。
この「日本の新国立劇場の味」というものがなければ、それなら豪華なキャスティングで楽しませてもらった方が、満足度が高いと思うのです。とはいうものの、私にはその味つけの仕方はわからないのですが。
(2006/09/10)
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