このDVDで、最初に私の目にとまったのは、その衣裳です。ただ日本の着物を着ているだけでなく、「オペラ」としての舞台にふさわしいデザインで、ワダ・エミ氏によるものでした。演出は、ゼッフィレッリ。場所がヴェローナ野外劇場ということで、『蝶々夫人』の舞台を「見せる」のはなかなか難しいと思いますが(家の中が舞台の中心となるため)、もうさすがとしか言えません。素直にいい舞台だと眺められる出来です。
そして、次に目が行ったのは、ピンカートン役のマルチェッロ・ジョルダーニ(T)です。頭から足の先までいかにもピンカートンである・・・というと、ピンカートンの役柄を考えれば、全く誉め言葉になっていないのですが、ここでは、本当にプラスの意味でピンカートンのイメージをうまく出しているのだと解してください。
シャープレス役のファン・ポンス(Br)は、もうおなじみですが、このDVDでもきちんと仕事をしています。
そして、蝶々さん役はフィオレンツァ・チェドリンス(S)。彼女もうまく歌っていました。・・・ということは、このDVDは、歌手も揃い、舞台も見応えのあるすばらしいディスクであると言えます。しかし、そう簡単にはいかないのがオペラの難しいところです。
これは、私が日本人だということにも関係しているでしょう。もし外国人であれば、このDVD『蝶々夫人』はこれでいいと思います。でも、日本人の私がどうしても気になってしまうのが、蝶々さんを歌うチェドリンスの強さなのです。いや、「厚さ」と言ったほうが正確かもしれません。
私には、15才の蝶々さんは、戻るあてのないピンカートンを待つことができるという強さを持ちながらも、やはり繊細で、どこか弱々しさがあることを前提としてほしいという願望があります。
そのために、日本人のソプラノ歌手でふさわしい人材はいないでしょうか。プッチーニが作曲した蝶々さんは、ソプラノの中でもより強い表現を必要とします。ソプラノ・レッジェーロの軽さ、つまり「薄さ」で、プッチーニの蝶々さんを歌いきることができるのかと言えば、それも困難なことでありましょう。プッチーニの描いた蝶々さんのイメージが、それ自体すでに私の理想の方向性とは異なっているのかもしれません。
チェドリンスの歌唱を、決して否定するわけでもなく、むしろそれは一つの成功した蝶々さんであると明言できます。ただし、その「厚さ」は、私が期待している蝶々さんにまだまだ遠いのだと実感しながら、このDVDを見ていました。
(2007/10/01)
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