かつて音楽評論家の吉田秀和氏がLDとVHDという二種類の規格があることを嘆いていました。私もVHDについては、ベームの『こうもり』があったためにかなり困っていました。
VHDは、私の感触ではほとんど持っている人がいなかったのではないかとも思います。今ではVHDといっても何のことだがわからない人もいるのではないでしょうか。
カルロス・クライバーが指揮した『こうもり』(バイエルン国立歌劇場、1986年)はLDで出ていたので、私は見ることができました。他方、VHDにはカール・ベームが指揮した『こうもり』(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、1972年)がありましたが、私はVHDを所持していなかったためこれを見ることができないでいました。
この二種類の映像作品は、両方ともオットー・シェンクによる演出で共通点があり、また、主役のアイゼンシュタインをエバーハルト・ヴェヒターが歌っているところも同じです。しかし、あとは配役など異なっているところが多く、ぜひ両方とも見てみたくなるのです。
DVDの時代になって、ようやく両方の映像を難なく見ることができるようになりました。これを逃さないわけにはいきません。まだ見ていない人は比較しながら両方を堪能されてはいかがでしょうか。
二作品の大きな違いは、まずやはり指揮者が違うところ。もっと言えば、指揮者の性格が明確に異なっているところ。しかも、それぞれがいいのです。ベームのゆったりとした、それでいてきちんとした音楽。C.クライバーの勢いがあって躍動感にあふれた音楽。オペレッタ『こうもり』が二人の指揮者によってどのように料理されているか……、この二者の音楽を比較することには、少し聴いてみただけでも興味が次々と沸いてくるようなおもしろさがあります。
一見して一番違いが明確に出るのが、オルロフスキー公爵でしょうか。ベーム盤ではテノールのヴォルフガング・ヴィントガッセンがかなり「こわそうな」ロシア貴族を演じているのに対し、C.クライバー盤ではメゾ・ソプラノのブリギッテ・ファスベンダーが女性ながら違った意味でこわそうな……いえいえ、別に女性はこわいと言っているわけではありませんが、オペラ全体の中でもおもしろい存在として目立っています。
また、収録年に12年という差があるので、同じアイゼンシュタインを歌っているヴェヒターにも年齢という違いが顕著にあらわれています。
そして、ロザリンデはベーム盤がグンドゥラ・ヤノヴィッツで、C.クライバー盤がパメラ・コバーン。ベーム盤のヤノヴィッツの方は、この文章の最初に登場していただいた吉田秀和氏がなかなかすごいことを書いています。まず《ヤノヴィッツは美人というほどの人ではなかろうが》と断った上で、次のように誉めるのです。
《彼女でもっともすてきなのは、第二幕でマスクをつけて登場して以後である。マスクでもって、少し猫みたいにひっこみすぎた両眼の凹みが隠され、顔の下半分だけが見えるようになると、彼女は美人になる》(『オペラ・ノート』138頁)
ヤノヴィッツ本人が聞いたら、平手の一発二発、吉田先生は食らってしまうかもしれません。そしてもう一言。
《特に頬から口もとにかけてと頤(おとがい)の線が美しい》(注:「おとがい」とは、したあごのこと)
あとで吉田氏も読み返してみたら、こんな文を残してしまってかなり恥ずかしいのではないかと思うのですが……。まあ、こういうところも見どころの一つなのでしょうか。
それはそうと話を元に戻して、ベーム盤がスタジオで収録したものであるのに対し、C.クライバー盤はライブで収録したものなのですが、私がベーム盤を一度は見てみたいとずっと思っていたのは、演出のシェンクがベーム盤ではフロッシュの役を演じているからでした。一体、演出家本人がその役を演じるとどういうことになるのか、ぜひ確かめてみたいと思っていました。なぜなら、C.クライバー盤のフロッシュ役のフランツ・ムクセネダーという役者に対し、私はこれはこれで非常にうまいと感じていたからです。演出家本人が演じると、これのさらに上をいくのでしょうか。
ベーム盤がDVDで発売され確認してみましたが、演出家本人が演じるからといって、それがそのまま最高の名演になるかというのは、また違うことなんだなあというのが私の感想です。芸術というものは難しいものですね。
(2008/06/01)
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